鈴木伸治・御言葉に向かう(2)

神様の御心を求める歩みをしています。

説教「目が開ける」

2019年4月28日、六浦谷間の集会 
「復活節第2主日

説教・「目が開ける」、鈴木伸治牧師
聖書・ 列王記下7章1-7節、ヨハネの黙示録19章5-10節
ルカによる福音書24章28-35節
賛美・(説教前)讃讃美歌21・318「勝利の声を」
(説教後)讃美歌21・444「気づかせてください」


前週は主イエス・キリストのご復活日、イースターでした。ご復活のイエス様が導いてくださいますので、いよいよ現実を喜びつつ歩みたいのです。私たちはイエス・キリストが十字架により私たちの存在を贖ってくださっていると信じています。それがキリスト教の信仰です。この信仰に立ちつつ、この社会の中で人々と共に歩みたいのです。キリスト教という宗教の世界ですが、宗教は人々が共に歩むことでありますから、排除の姿勢はないはずなのですが、自分が信じている以外の人々を排除する姿が出てくるのです。自分の宗教だけを正しいとし、ほかは間違いであるとすることがあるのです。日本の歴史においても、諸宗教の中には、自分が信じる道を絶対とし、ほかは間違いであると主張しました。今でも宗教によってはそのような傾向を持っています。
 キリスト教にしてもイスラム教にしても、それぞれ真理にもとづいた信仰であります。ところが自分の信仰が絶対であるとし、他を排除すること、歴史を通して争われてきています。そして、今でも宗教間の争いが絶えないのです。つい先日、スリランカの国でテロ事件が起きました。キリスト教の教会の中で自爆テロが行われ、260人近い人が犠牲になったといわれます。いろいろと調査されていますが、当局の発表によりますと、今回の事件は、ニュージランドのイスラム教のモスクがキリスト教によって襲撃され、かなりの犠牲者が出ており、スリランカのテロはイスラム原理主義者がその報復をしたのだといわれています。どうして他の宗教を排除するのか。その宗教を信じ、他の存在の生き方を尊重してこそ、真の宗教者であるのです。
その点、ローマ帝国の歴史は良い面がありました。ローマ帝国多神教の世界でした。神々が実に多いのです。偉大な存在が死んだ場合、その人を神様にしてしまうのでした。そのような姿勢がありますから、他の国を支配するようになった時、その国の宗教はそのままにしておいたのです。ユダヤ教キリスト教ローマ帝国の中では認められていたのです。しかし、キリスト教の人々は、唯一の神様を信じるので、多神教の世界の中では、協調できなかったのです。むしろ、自分たちが迫害を招いたということになるのです。ローマはキリスト教を迫害したのではなく、信じる人々の姿勢を迫害したのでした。
このことは宗教の世界ばかりではなく、どのような人々も一人の存在として認めることなのです。そのようなことに気がつくとき、それが目が開かれるということなのです。人間はいつも自分の常識で判断していますから、他者に対して誤解、偏見を持つことになるのです。人間の根本的な姿、自己満足、他者排除を受け止めなければならないのです。そのような人間の根本的姿勢をイエス様が十字架によってあがなってくださったのです。イエス様の十字架を仰ぎ見つつ歩むとき、一人の存在として祝福の歩みへと導かれるのです。ご復活のイエス様は、今も私達をお導きくださっている信仰を強めたいのです。 

 私達は生活の中で胸騒ぎを経験します。あるいは周囲の状況で不安を感じることがあります。そういう意味では、地震や災害の不安をいつも持っている私達であります。あるいは世界的にも不安定な状況です。イスラム過激派と言われる人々の、無差別の破壊があります。平和な日本でありますが、なんとなく暗い影が漂っているような面もあります。旧約聖書は戦いの最中でありますが、戦うものは常に不安が付きまとっているのです。聖書はイスラエルの国が相手のアラム軍に対して手を出せないのであり、いつ滅ぼされるかという状況でありました。この列王記下では神の人と言われるエリシャが神様の御心を人々に示している時代です。ところがイスラエルの王様はこのエリシャを面白くないと思っています。王様の至らぬ姿をずけずけと言うからです。それで、王様は使者をエリシャにさし向かせて言わせるのです。「この不幸は主によって引き起こされた。もはや主に何を期待できるのか」というのでした。エリシャが言う神の言葉は信用できないと言わせているのです。それに対してエリシャは使者に言います。「明日の今頃、サマリアの城門で上等の小麦粉1セアが1シェケル、大麦2セアが1シェケルで売られる」というのです。当時の流通から考えて、要するに四分の一で売られるということです。100円の物が25円で売られる。それほど物が豊富になるということです。しかし、現実には人々は食べることにもこと欠いている状況です。強敵アラム軍に対して、城の中で困り果てているのです。だから、エリシャの言うことは信じられないし、そんなことはありえないと思うのです。王様からの使者は「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう」というのでした。神様が窓を造って、この国をご覧になっても、そんなことは起こらない。神様は助けることはできないと言っているのです。
 この神の人エリシャの言葉を信じなかったので、現実に神様が救いを与えられたとき、この王様からの使者は、人々に踏みつけられて死んでしまうのです。神様の救いの御業が与えられました。アラム軍の兵士は、神様が戦車の音や軍馬の音、大軍の音をアラム軍の陣営に響き渡らせたので、イスラエルの陣営が、周辺の国の軍隊と共に攻めてきたと思います。それでアラム軍の兵士は我先にと逃亡していったのでした。だからアラムの陣営は誰もいなくなったのです。人々から追い出されている重い皮膚病の人々が、空になったアラム軍の陣営に入り、飲食をしたり貴金属を盗んだりしていましたが、これはイスラエルの王様に報告しなければならないと思うのでした。報告を聞いた王様は、誰もいないアラム軍の陣営から、食料を始め必要な物を運び出したのでした。それにより、今にも死を選ばなければならない貧困の状況から救われたのでした。物がたくさんあるので安く売られるようになったということなのです。王様の使者は人々に踏みつけられて死んでしまいます。それは神様の御心を信じなかったからであると示されています。
 こうしてイスラエルは戦わずして勝利を収めたのでした。それも神様の導きであったのです。戦車の音や軍馬の音、大軍の音をアラム軍の陣営に響き渡らせたのは神様でした。戦いの中にある兵士はその様な音には敏感でした。不安の心が拡大されて、恐ろしい思いへと変えられていったのです。しかし、心を静めているならば、その音は風の音であったかもしれません。雷の音であったのかもしれません。神様が風を与え、地を揺り動かしたのであります。人間の心が騒ぐことになるのです。パニックという状況があります。置かれている状況が良く分らないままに、とにかく危ない状況であると判断して、人々の騒ぎになります。確かに危ないのでありますが、状況判断が必要であるのです。
 主イエス・キリストは時々「静まれ」と言われています。イエス様とお弟子さんたちが船に乗って向う岸に渡ろうとしています。すると激しい突風が吹いてきて、今にも沈みそうになるのです。その時、イエス様は艫の方で寝ていたと言われます。お弟子さんたちは恐ろしくなり、イエス様を起こし、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えるのでした。そこでイエス様は起き上がり、風を叱り、荒れ狂っている湖に、「黙れ、静まれ」と言われました。すると風はやみ、湖は凪になったと記しています。確かにイエス様は風や荒れ狂う湖に向かって「黙れ、静まれ」と言っていますが、むしろお弟子さんたちの心に向かって言われたのでした。静まってこの状況を見つめる、そこには神様のお導きがあると示されるのです。
 こうしてイエス様は静まる心を導いておられるのですが、今朝の新約聖書は「静まる心」ではなく、「燃える心」もお与えになるイエス様を示しているのです。

 前週は主イエス・キリストのご復活を与えられました。その復活されたイエス様のお導きが今朝の聖書であります。ルカによる福音書は24章においてイエス様のご復活を記しています。イエス様が十字架に架けられ、埋葬されたのは金曜日でした。翌日の土曜日は安息日なので、何もできない掟があります。それで三日目の日曜日の朝早く、マグダㇻのマリアさん、ヨハナさん、ヤコブの母マリアさんや他の婦人たちがイエス様のお墓参りに行きますと、イエス様のご遺体がないことを知りました。イエス様のご遺体がないということで途方に暮れていますと、輝く天使が現れたのです。そして言われたことは、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられるころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」と言われたのです。婦人たちはそのイエス様の言葉を思い出したのです。思い出した婦人たちは、そのまま受け止めたのです。それでお弟子さんたちに伝えたのです。お弟子さんたちは、この話はたわ言のように思えて信じなかったのであります。しかし、お弟子さんのペトロさんはお墓に行き、中を覗いたのであります。確かにイエス様のご遺体はありませんでした。ペトロはこの事実に驚きながら家に帰ったのでした。
今朝は、「ちょうどこの日」でありますから、イエス様の復活された日曜日です。二人のお弟子さんが都エルサレムからエマオという村へ向かって歩いていました。すると途中でイエス様が近づいて来て、一緒に道ずれになったのであります。しかし、二人のお弟子さんはイエス様であることが分りません。道ずれの人は、どんな話をしていたのか聞くのです。それで二人のお弟子さんは、イエス様が時の指導者たちに捕えられ、十字架に架けられ、埋葬されたこと、婦人たちがお墓に行ったとき、天使が現れて「イエスは生きている」と告げたこと、お弟子さんたちもお墓を見に行きましたが、ご遺体がなかったこと等を話したのでした。すると道ずれのイエス様は、聖書が預言していること等、聖書全体の救いをお話ししたのでした。それでも二人のお弟子さんは道ずれの人がイエス様であることが分りません。そして、とうとうエマオの村に着きました。二人のお弟子さんは、もう夕方なので一緒に泊まることを勧めるのです。そして、一緒に食事をしました。その時、イエス様はパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて二人のお弟子さんに渡されたのです。その時、二人の目が開け、道ずれの人がイエス様であると示されたのでした。しかし、その時は既にイエス様は見えなくなっていました。二人のお弟子さんは、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合ったのです。それですぐにエルサレムに行き、お弟子さんたちに会いました。するとお弟子さんたちもご復活のイエス様にお会いしたということを話しあっていたというのです。二人のお弟子さんもイエス様とお会いし、心が燃えたことを報告したのでした。
 道連れになった人がイエス様であることが分らなかったことは、お弟子さんたちの思いが、イエス様が死んでしまったということです。その前提にありますから、イエス様であることが分らなかったのでした。しかし、道連れの人が聖書の話しをされたとき、彼らの心は燃えていたのです。聖書の救いを全体的に示されたからです。しかし、ただ聖書の話しを示されたことより、イエス様ご自身が共におられたのですから、心が騒ぐのです。そして、食事の時のパンを与えられたこと、お祈りの事で目が開かれたのでした。まさにこの方はイエス様ご自身であると示されたのでした。彼らは「心が燃えた」のです。ご復活のイエス様のお導きを自分の身体に示されたからでした。イエス様のお導きは「心が燃える」のです。

 前週の日曜日はイエス様の復活祭でした。イエス様が十字架に架けられて、死んで葬られますが、三日目にご復活されたことが聖書に記されています。今朝も、エマオへの途上、二人のお弟子さんがイエス様に出あったのに分らなかったことが示されています。実は、現代の私たちも、イエス様のご復活を昔の出来事と信じていることもあるのです。聖書の時代にそのようなことがあり、今年もご復活のイエス様をお祝いしています。しかし、ご復活のイエス様は今のことなのです。それを信じなければイースターの真の意味はないのです。イエス様は2000年前に復活されたのですが、今のご復活として信じなければならないのです。
 以前、まだ神学生の頃ですが、北海道の教会に夏期伝道に行きました。夏期伝道というのは、神学生が夏休みに一つの教会に行き、実践的に牧師の研修をするのです。私は北海道の教会に夏休み中、夏期伝道をさせていただきました。その教会は、決して大勢の人が礼拝に出席しているのではありませんが、比較的多くの中学生、高校生、青年たちが出席していました。教会の牧師は、できるだけそれらの青少年と接してほしいということでした。それで、いつも青年達と交わりつつ過ごしていたのです。ある日のこと、一人の青年が訪ねてきました。いろいろなお話をしたのですが、キリスト教には懐疑的でした。何よりもキリスト教のイエス様が十字架で殺されてしまった、ということが中心にあるようです。その十字架こそ、人間の自己満足、他者排除を救ってくださったのであることを説明しても、十字架で殺されたことが重くのしかかっているようです。随分と長くお話をしていたと思います。もうそろそろ帰る頃、そのイエス様がご復活されたことをお話ししたのでした。すると彼は、「ああ、そうか」と言うのです。何か目が開かれたようだと言うのです。そして、疑問点が解決したように、晴れ晴れとして帰って行きました。イエス様のご復活、それを知ったとき「目が開かれる」姿へと導かれたのでした。
 イエス様のご復活を示されるとき、目が開かれるのです。今も共におられるからです。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様の十字架、そして復活を感謝いたします。「心が燃やされて」、目を開かせてください。主イエス・キリストのみ名によりおささげいたします。

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説教「生きておられる方」

2019年4月21日、六浦谷間の集会 
「復活節第1主日イースター

説教・「生きておられる方」、鈴木伸治牧師
聖書・ 創世記9章8-13節、ローマの信徒への手紙6章3-11節
   ルカによる福音書24章1-12節
賛美・(説教前)讃美歌21・327「すべての民よ、よろこべ」
   (説教後)讃美歌21・493「いつくしみ深い」


 本日はイースター、主イエス・キリストの復活祭であります。昨日まで、3月6日から40日間は受難節として歩んでまいりました。40日の中の日曜日は数えられていませんが、イエス様の受難の道、十字架への道を示されながら歩んでまいりました。そのイエス様のご受難の道は十字架に至ることでありますが、その十字架は私達を救いへと導かれることでした。ですからイエス様の受難は悲しいことですが、私達を救いへと導くことでありますから、むしろ喜びであることも示されています。前週の日曜日は棕櫚の主日であり、受難週の始まりです。この受難週の過ごし方をスペインのカトリック教会で示され、お話ししました。すなわち棕櫚の主日はイエス様が十字架による救いへと歩んで行くことなので、喜びでもあるのです。カトリック教会では子供たちも聖壇に上がり、持っている棕櫚の枝を床に打ち付けて喜びを現し、救いのイエス様を迎えるのでした。だから、日本のように受難週は忍耐をいただいて歩むというより、救いの喜びを現しながら歩むということを示されたのであります。主イエス・キリストは人間をお救いになるために、ひたすら十字架を目指して歩んだのでありました。
 4月となり、新しい歩みが始まりました。入園式、入学式、入社式等が紹介されていますが、私達も新たなる思いで歩みだしたいのであります。信じる道を踏みしめて行くこと、必ず祝福があるのです。その信じるということは、イエス様が現実の私達と共におられて導いてくださっているということであります。3月17日には宮城県の陸前古川教会の礼拝において講壇に立たせていただきました。実に40年ぶりになります。神学校を卒業して、最初は東京の青山教会に赴任し、伝道師、副牧師として過ごしましたが、4年後には陸前古川教会の主任牧師として赴任しました。初めて牧師として歩み始めた教会でもあります。6年半の牧会でしたが、いろいろな経験を重ねながらも、牧師としての歩みが導かれたのであります。その頃、お交わりのあった皆さんは、今は天の国に召されておられる方もおられますが、しかし、今でもお元気に過されておられる皆さんとの再会でした。そしてまた、その頃、小学生、中学生、高校生の皆さんが、今は家庭を持たれ、社会的にも活躍されている皆さんなのでした。本当に懐かしい再会でしたが、皆さんとお会いして、イエス様が共におられて導いてくださっている現実を示されたのでした。イエス様は生きておられるのです。生きているイエス様が、皆さんと共に歩んでおられることを示されました。
 当日は午前中の礼拝は私が説教をさせていただきましたが、午後からは娘の羊子のピアノリサイタルが開かれました。羊子は小学校4年生まで古川で成長したのですが、その頃をご存じの皆さんが、今の羊子の活躍ぶりを驚き、喜んでお迎えくださったのでした。40年前の皆さんとの再会を通して、生きておられるイエス様のお導きを示されたのです。

 旧約聖書はノアの洪水の物語です。神様の救済の示しであります。今朝の聖書は創世記9章ですが、洪水物語は6章から始まっているのです。地上には人が増え、増えた人々は次第に悪に染まり、常に悪いことばかりを心に思い計るようになってしまいました。そこで神様は、「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけではなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」と言われました。これは神話の世界ですから、神様のお心を人間的にあらわしているのです。神様はノアとその家族を顧みました。ノアとその家族は残し、後は滅ぼすことになったのであります。そのため、神様はノアに大きな箱舟を造ることをお命じになりました。箱舟の長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマの箱舟といいます。1アンマは約45㎝です。従って、長さ135m、幅22m、高さ13mと言うことになります。やはりかなり大きな船になります。箱舟ができあがりますと、すべての動物を一つがいずつ箱舟に入れ、そしてノアの家族が箱舟に入ります。ノアの家族はノアの妻と三人の息子たちでした。彼らが箱舟に入ると雨が降り出します。そして、水かさが増え、ついに箱舟が浮かびました。洪水となり、すべての生き物は死に絶えたのでした。水は150日の間、地上にあふれていました。しかし、次第に水が引きはじめ、乾いた地になりましので、ノアとその家族、動物たちは大地に降り立ったのであります。ノアは、まず神様に礼拝するために祭壇を築きました。そして家族と共に礼拝をささげたのであります。そこで神様から祝福の約束が与えられましたが、今朝の聖書になります。
 神様はノアと彼の息子たちに言いました。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」と言われるのであります。そして神様がノアに交わした契約は、「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」と言うことでした。つまり、虹が出ることは、神様が契約をお示しになっているということなのです。虹は恵みの雨の晴れ間にできる現象です。まさに神様のお恵みのしるしでもあります。お伽話のようですが、真理が示されているのです。
 こうして神様はノアを通して新しい人間を導きました。しかし、人間は相変わらず、思うことは悪い計りごとでありました。再び神様の審判があるとは新約聖書の時代になって示されて来るのです。すなわち終末信仰というものです。イエス様ご自身も終末の示しを与えておられるのです。「その日、その時は分からない。いつ終末を迎えても、神様の祝福をいただく歩みをしなさい」との示しをイエス様がくださっているのです。
 神様はノアを通して新しい人間を導いておられるのです。それは、今日においても新しい人間へと導いておられるのです。新しい人間は神様の御心を示されて生きるのです。時には現れる虹を見ては神様の御心を示されるのです。新しい人間は他者を受け止めて生きます。共に生きることが神様の御心なのです。互いにその存在を受け止めながら生きるということです。ノアの洪水、バベルの塔、ソドムの滅亡等、悪をお嫌いなさる神様の審判を聖書は証ししているのです。神様の御心をいただいて、「全身が輝いて」歩みたいのです。ノアに与えられた虹の約束は、十字架へと導かれることです。今日、私たちは十字架を仰ぎ見ては神様の救いを示されているのです。

ルカによる福音書は、24章でイエス様のご復活を記しています。週の初めの日、婦人たちはイエス様が埋葬されているお墓に行きます。十字架に架けられ、死んで葬られているイエス様なのです。ですからさっそくお墓参りに行くのでした。お墓の入口には大きな石でふさがれているはずです。聖書の時代のお墓ですが、横穴に埋葬します。そのままですと動物にあらされるので、大きな石でふさいでいたのです。しかし、別の言い方があります。イエス様はかねてより、十字架に架けられ、死んで葬られますが、三日目によみがえることをお話しされていました。それを聞いている時の社会の指導者たちは、弟子たちがイエス様の死体を盗んでどこかに隠し、イエス様が復活されたと言いふらすに違いない、ということで大きな石でふさいでいたということです。これはマタイによる福音書の報告です。しかし、ルカによる福音書はその様なことは記していません。
 婦人たちがお墓に行くと、大きな石が転がしてあり、お墓の中にはイエス様のご遺体がないのです。そのため婦人たちは途方にくれているのですが、そこへ天使が現れます。そして天使が言われたことは、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活されたのだ。ガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活されることになっている、と言われたではないか」との言葉で、婦人たちはイエス様の言葉を思い出すのでした。そこで、お弟子さんたちに知らせるのですが、お弟子さんたちは婦人たちの報告を「たわ言」のようだとしたのでした。しかし、ここではっきりとイエス様のご復活が知らされているのです。知らされても信じないお弟子さんたちでした。それでもペトロは墓に向かって走っていったのです。たわ言と思いながらも、イエス様と共にいたとき、イエス様の予告的な言葉も示されていたのであります。だから、半信半疑と言いましょうか、イエス様のお墓に走って行ったのです。墓の中をのぞくと、イエス様のご遺体は亜麻布にくるまれて埋葬されていたのですが、お墓の中にはその亜麻布しかなく、イエス様のご遺体はありませんでした。そこで、ペトロはイエス様のご復活を信じなければなりませんでした。しかし、ご遺体がないということで、ただ驚くばかりであったのです。そして、驚きながら家に帰ったと報告されています。イエス様は、ご復活するとお弟子さん達にも示されていたのですが、現実に驚くばかりで、その現実の意味を理解できないのであります。
 この現実には神様のお導きがあるのです。今、起きていることは、辛いこともあるでしょう。あるいは喜びであることもあるでしょう。しかし、この現実を驚くのではなく、この現実の意味を示されなければならないのです。先ほども古川のお話をしましたが、青山教会に在任している頃、陸前古川教会赴任のお話がありました。喜んでそのお話を受けとめました。今までの牧師は40年間も教会の牧師、幼稚園の園長を担いつつ歩まれてきたのです。ですから、当然、私も牧師と共に幼稚園の園長を担うと思っていたのです。そうしましたら、直前になって、幼稚園の園長は教会員が担うので、牧師の務めをしてもらいたいということでした。なんとなく、話が違うと思うようになり、しばらく赴任することは保留にしていたのです。しかし、折角お招きくださったのであるから、お招きを受け入れたのであります。「鈴木牧師には教会の牧会に専念してもらいたい」ということでした。そういうことで就任しましたので、教会の務めを担いつつ過ごしましたが、しかし、宗教法人の幼稚園ですから、教会が設置者であり、教会の代表役員でもありますから、幼稚園に関わりつつ過ごすことになるのです。それでも幼稚園の管理運営的なことは役員会が担っていますので、本当に教会の務めを楽しみつつ果たすことができたのでした。その頃の小学生、中学生、高校生の皆さんと、夏期学校やいろいろな交わりの集いを開きつつ歩みましたので、皆さんは覚えてくださっていたのです。
 今の現実は話が違うと思っていたことが、その現実において大きな働きへと導いてくださったのでした。40年ぶりに皆さんとお会いした時、まさに、生きておられるイエス様を示されたのであります。40年間、皆さんはどのように歩まれたかは存じ上げませんが、皆さんはイエス様を示されて成長したのでした。その後、教会とは関わらなかったとしても、生きておられるイエス様のお導きがあったと示されています。

 「いつくしみ深き、友なるイエスは」という讃美歌があります。讃美歌の54年版に慣れていますので、讃美歌21になっても今までの歌詞で歌ってしまうことがあります。54年版は312番になります。この「いつくしみ深き」の讃美歌を私の母はとても大好きで、いつも口ずさんでいました。母はキリスト教信者ではありません。むしろ浄土真宗の信仰を持って生きた人でした。私は5人兄弟の末っ子ですが、長姉と次姉は清水ヶ丘教会員で、私を含めて3人の子供たちがクリスチャンでした。両親は自分達が浄土真宗でありますが、子供たちが教会に出席するのを見守っていたのです。長姉は日曜日に教会から帰ると、牧師の話し、説教を報告していました。そして長姉と共に讃美歌312番を歌っていたのです。その母は1989年5月29日、91歳で亡くなりました。病院にいる母のベッドの横で、長姉がいつも讃美歌312番を歌って聞かせていたことが思い出されます。葬儀は自宅で行いました。母の信仰を尊重して浄土真宗で行いました。葬儀には友人の牧師7、8人が来てくれました。通夜の葬儀が終わって、いわゆるお清めの時、牧師たちに母の愛唱讃美歌であった312番を歌ってもらったのです。和尚さんもそこにいましたが、鈴木家の子供たちがキリスト教であることを知っていましたので、讃美歌を歌うのを笑顔で見守っていました。「いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いをとり去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかは下ろさぬ終える重荷を」と歌いますが、母は生前、この讃美歌を口ずさみながら、神様の慈しみを深く受け止めていたと思います。
 余談でありますが、通夜が終わり、讃美歌が歌われた後、お清めには和尚さんと共に牧師たちが加わり、いろいろと懇談したことが思い出されます。仏教のお坊さんとキリスト教の牧師たちが、葬儀ということで共に語らう、母の引き合わせであると思いました。浄土真宗の信仰に生きながら、子供たちのキリスト教を受け止めていた母です。神様の慈しみを示したと思っているのです。神様の慈しみが私達に与えられているのです。
生きておられるイエス様は、私達に驚くべき現実を与えられますが、その現実こそイエス様のお導きであります。苦しい時、悲しい時等がありますが、その現実を悲しみつつも、この現実にこそ生きておられるイエス様が導いておられることを示されたいのです。ペトロは現実を驚くばかりで、この現実には大きな神様のお導きがあることには気がつきませんでした。この現実を驚きながらも、その現実を生きておられるイエス様がお導きくださっていることを示されたのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様の十字架を仰ぎ見つつ歩むことができ感謝いたします。復活の主に導かれつつ歩ませてください。主キリストのみ名によりおささげたします。アーメン

 

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説教「十字架の導き」

2019年4月14日、六浦谷間の集会 
「受難節6主日」 棕櫚の主日

説教・「十字架の導き」、鈴木伸治牧師
聖書・ イザヤ書56章1-8節、ヘブライ人への手紙10章1-10節
ルカによる福音書23章32-49節
賛美・(説教前)讃美歌21・297「栄えの主イエスの」
(説教後)讃美歌21・311「血しおしたたる」


 本日は「棕櫚の主日」であります。イースターの一週間前の日曜日でありますが、この日に主イエス・キリストが都のエルサレムに入ったとき、人々は、それまでイエス様の奇跡の業、神様の嬉しい御心を示されていますので、この偉大な人が都に来られたということで大歓迎したのであります。新約聖書の四つの福音書はいずれもその模様を記しています。マタイによる福音書は、人々は自分の服を道に敷き、木の枝を切って迎えたと記します(21章1-11節)。マルコによる福音書は、人々は服を道に敷き、野原から葉の付いた枝を切ってきて道に敷いたと記します(11章1-11節)。ルカによる福音書は、イエス様が来られたということで、人々が神様を賛美したと記します(19章28-40節)。そして、ヨハネによる福音書は、人々がナツメヤシの枝をもって迎えたと記しています(12章12-19節)。昔の口語訳聖書のヨハネによる福音書が「しゅろの枝」と記しているのです。新共同訳聖書は「ナツメヤシの枝」になっています。従って、今でも「棕櫚の主日」と称しているのは、この口語訳聖書ヨハネによる福音書の「しゅろの枝」が基となっているようです。ナツメヤシは日本では見かけませんが、西インドやパレスチナが原産地とされています。ナツメヤシは果樹として食べられていますが、その樹は建築に用いられています。葉はござや籠が作られます。樹皮は縄に使われているということです。この様にすべてが用いられており、勝利のしるしとして、繁栄、優美の象徴となっているとのことです。そのためイエス様をお迎えするのに、ヨハネによる福音書は「しゅろの枝」を道に敷いたと記しているのです。イエス様が都エルサレムに入ったとき、どの福音書も人々が歓呼して迎えたということです。棕櫚の主日にはイエス様を喜んでお迎えする、私達も喜びたいと思います。日本のキリスト教は受難週に入るので、歓呼どころかイエス様のご受難を偲ぶということで、喜びをあらわさないようです。
 この年になって、受難節は喜びつつ歩むべきだと示されるようになっていますが、一つのきっかけはスペインにおける棕櫚の主日を経験してからです。スペイン・バルセロナには娘の羊子が滞在していますので、2011年4月から一ヶ月半、私達、連れ合いと娘の星子と共に滞在しています。4月から出かけましたので、丁度、受難週、イースターを経験しました。娘の羊子はカトリック教会のミサに出席し、奏楽奉仕をしています。実は娘の羊子はバルセロナに渡り、ピアノの研鑽を行い、そして演奏活動をする中でも、近くにプロテスタントの教会が無いのでカトリック教会に出席しました。そしてその教会の神父さんに、プロテスタントであるが、聖餐式を受けられるか聞いたのです。そしたらプロテスタントではだめであると断られたのです。それで、別のカトリック教会に出席し、聖餐式を尋ねました。そしたら、その教会の神父さんは、プロテスタントカトリックもイエス様への信仰は同じですと言われ、一緒に聖餐式に臨んでくださいと言われたのです。それからはその教会に出席するようになり、そしてミサの奏楽をするようになったのです。
 バルセロナ滞在中に、私達もこのカトリック教会に出席しました。そして棕櫚の主日の経験をさせていただきました。その棕櫚の主日前の週に、サグラダ・ファミリアの前の通りに露天商が多く出て、受難週の棕櫚の枝を売っているのです。受難週に関するものばかりではなく、いろいろな楽しいお菓子や玩具も売っているのです。そのような露天商が沢山並んでいるのでお祭り騒ぎの様でした。そして棕櫚の主日の日、教会に行きますと、子供たちが棕櫚の枝をもって教会に集まってきているのです。20人くらいいたと思います。まず、教会の外の庭に教会の皆さんが集まります。そこで神父さんが棕櫚の主日の儀式をして、そして皆で教会の中に入っていくのです。子供たちは神父さんと一緒に聖壇に上がります。ミサが進むうちにも、子供たちは棕櫚の枝を床に打ち付けて、賑やかにイエス様をお迎えするのでした。このような棕櫚の主日を経験して、お祭り騒ぎのような棕櫚の主日のミサでしたが、これからイエス様がご受難の道を歩むのですが、それは私達を救うためであり、まさに喜びであるのです。その意味でも棕櫚の主日は喜びつつミサをささげているのです。日本では受難節、受難週は質素な、克己の生活をするという昔ながらの信仰が根底にありますが、もっと喜びつつ迎えなければならないのです。今朝示されますように、十字架はイエス様のご受難でありますが、そのご受難が私たちの救いでありますから、喜びつつイエス様の十字架のお導きをいただきたいのであります。

 本日の旧約聖書イザヤ書56章です。聖書の人々は当時の強国バビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに連れて行かれたのです。しかし、そのバビロンが衰退し、ようやく解放されたのでした。約50年間の捕われから解放された人々への励ましと導きの言葉が記されているのです。捕われから解放されたものの、人々の苦しい状況は続いています。困難に生きる人々へ、神様の御心を示しているのが本日のイザヤ書であります。「主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し、わたしの恵みの業が現れるのは間近い」と示しています。旧約聖書の根底にあるのは、神様が人々に与えた十戒でした。第1戒から第4戒までは神様を信じることであり、第5戒から第10戒までは人間関係の戒めです。イエス様はこの十戒を、「あなたがたは神様を愛し、隣人を愛しなさい」とまとめています。まさに十戒は神様を愛し、人間を愛して生きることが、人々の生きる道なのです。だからこの56章2節には、「いかに幸いなことか、このように行う人、それを固く守る人の子は。安息日を守り、それを汚すことのない人。悪事に手をつけないように自戒する人は」と示しています。「このように行う人」とは「神様を愛し、人々を愛して生きる」人なのです。そして「安息日を守る」ことが重要なことなのです。安息日を守る戒めは第4戒であります。「安息日を守ってこれを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」と戒められているのです。これは旧約聖書に記される天地創造が基となります。神様は日曜日から創造の業を始め、金曜日に終わるのです。そして、土曜日を安息日としているのです。神様が休んだから、人間も休むというのではなく、この安息日に神様の創造の業を深く受け止めることなのです。それは神様の創造により、今、恵みによって生かされていることを感謝するということなのです。一つ一つ神様の恵みと祝福が満ちていることを示されるならば、十戒を正しく生きるということになるのであります。
 イザヤはこのように神様の恵みを示されていることを示し、人々が神様の「祈りの家」に集められることを示しているのです。6節に、「主のもとに集まってきた異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す」と示しています。つまり、十戒を基本として生きる者は、どのような人々も神様の「祈りの家」に導かれると示しているのです。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」とも示しています。「祈る」ということは神様の御心を示されることであり、祈りが導かれているならば、そこは「祈りの家」であるのです。
私達にとって祈りが導かれるのは、イエス様の十字架です。イエス様が十字架にお架りになり、私たちの根源的な罪をお救いくださったのです。十字架を仰ぎ見ることが私達を祝福の人生へと導かれることなのです。イエス様は日々、十字架のお導きを与えてくださっているのです。旧約聖書は神様にお祈りするならば、人間の基本的生き方、十戒を基にした人生が導かれることを示しているのです。イエス様は繰り返し「神様を愛し、人々を愛しなさい」と教えておられるのです。すなわち、十戒を基として導いておられるのです。

 今朝の新約聖書ルカによる福音書は、主イエス・キリストが捕えられ、十字架への道を歩み始めることが記されています。そのイエス様が十字架への道を歩み始めるにあたり、「祈りの家」に導かれているのです。イエス様はエルサレムの東側にあるオリーブ山にはいつも行かれており、そこでお祈りをささげ、寝泊まりしていたことも示されます。十字架を前にしたときにも、この「祈りの家」に導かれたのです。お弟子さんたちも一緒であったと言われます。いつもの場所に来ると、イエス様はお弟子さんたちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」と諭し、イエス様はそこから少し離れたところでお祈りしたのでした。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」とお祈りしたのでした。「杯」としていますが、受けなければならない十字架のことです。イエス様はクリスマスにお生まれになりました。神の子としてお生まれになったと示されますが、人間としてお生まれになっているのです。ですから、人間として洗礼を受け、人間として人々の苦しみを受け止めていたのです。人間であれば、苦しいことは避けて通りたいのです。その気持ちを率直に申しています。「この杯をわたしから取りのけください」と祈りましたが、すぐその後で、「しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」とお祈りしています。ご自分の気持ちを述べながらも、全て神様に委ねておられるのです。聖書は補足的に「汗が血の滴るように地面に落ちた」と記していますが、全身でお祈りしていたことを示されるのであります。
 このようにお祈りして、イエス様がお弟子さんたちのところに戻ると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいたのです。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」と先ほども述べた言葉でお弟子さんたちを励ましています。他の福音書では、眠っているお弟子さんたちをイエス様がたしなめているようにも読めますが、ルカによる福音書は人間的弱さを憐れまれ、励ましているのです。「祈りなさい」とイエス様は導いておられるのです。お弟子さんたちもイエス様の十字架への道を示されています。悲しいことですが、この状況に与えられているのはお祈りであるということです。苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、人間は自ずとお祈りが導かれますが、イエス様もこの状況だからこそお祈りをしなさいと導いておられるのです。この後、弟子の中でもユダが時の社会の指導者たちの差し向けた者たちを連れてくるのです。そしてイエス様は十字架への道を歩み始められたのでした。全て神様に委ねておられるのです。祈りつつこの状況にご自身を委ねられたのであります。もはやこの時点でイエス様の神様による救いが完成されたのです。
 主イエス・キリストは都エルサレムに入られ、人々に歓呼されて迎えられました。そして、すぐに神殿に行きました。神殿では捧げものを売る店が多く建ち並んでいます。人々が神殿にお参りに来る場合、捧げものを持ってこなければなりません。鳩をささげたり、お金をささげたりするわけですが、遠くから来る場合、鳩のような動物を持ってくるわけには行きません。そこで神殿では鳩を売る店があるのです。あるいは外国からやってくる場合、持っているお金は外国の貨幣です。ですから神殿の前には両替人がいるのです。そのような店は、ある意味では必要なのです。しかし、イエス様はそれらの商売をする人々を追い出したのでした。そして言われたことは、「わたしの家は、祈りの家でなければならない」ということでした。この言葉は、先ほどもイザヤ書を示されましたが、神様が人々を祈りの家に招いていることを示されました。まさに神殿は祈りの家でありました。本来の祈りの家に導いておられるのです。

 都エルサレムの人々がイエス様を歓呼して迎えたにも関わらず、一週間もしないうちにイエス様を「十字架につけよ」と、祝福から呪いに変わってしまったこと、人々にとって見世物が目的であったということです。奇跡や心を打つお話という関心が見られなくなったとき、呪いの道を選ぶことになるのです。ローマの皇帝は常に「パンとサーカス」を心がけていました。そうしないと人々の皇帝への忠誠を失うからです。「パン」は小麦粉です。これを人々に支給しては人々の希望となっていたのです。「サーカス」は見世物です。大きな競技場を造り、色々な競技をさせては人々を喜ばしていたのです。エルサレムの人々は歓呼してイエス様を迎えたものの、「サーカス」が見られなくなったので気持ちが変わって行ったのです。イエス様が示された「祈りの家」を忘れてしまったということです。それは神様の御心から離れてしまったということです。主イエス・キリストによって不思議なことだと目を見張るのではなく、そこに神様の御業があることを信じなければならなかったのです。イエス様の導く「祈りの家」に導かれるならば、神様の御心が示されるのです。
 今朝は棕櫚の主日として、イエス様が十字架への道を進まれることを示され、さらに十字架の救いの完成を示されています。私達はいつも教会に導かれては十字架を示されています。十字架を示されながら、イエス様が私達を贖ってくださったことを示されるのです。しかし、それは信仰によるものです。一般の人は十字架を見ても何も示されません。当然のことです。その点、カトリック教会は十字架だけではなく、十字架に架けられているイエス様を示されています。フランスのルーブル美術館に展示されているイエス様の十字架の絵は、もちろん十字架ばかりではなく、その十字架に架けられているイエス様が描かれています。イエス様が苦しみながらも祈りつつ十字架におられる実際的な救いを示されるのです。カトリック教会はそのような十字架におられるイエス様を示され、十字架のイエス様のお導きをいただいているのです。私たちもイエス様の十字架を仰ぎ見つつ、イエス様のお導きをいただきつつ歩みましょう。
<祈祷>
聖なる神様。主イエス・キリストの十字架の救いを感謝いたします。十字架を仰ぎ見つつ、お導きに従いつつ歩ませてください。キリストのみ名によってお祈り致します。アーメン。

説教「救いの源」

2019年4月7日、六浦谷間の集会 
「受難節5主日

説教・「救いの源」、鈴木伸治牧師
聖書・ 哀歌1章1-6節、ヘブライ人への手紙5章1-10節
   ルカによる福音書20章9-19節
賛美・(説教前)讃美歌21・302「暗いゲッセマネ
   (説教後)讃美歌21・481「救いの主イエスの」


 今朝は4月の第一日曜日であり、2019年度の始めの礼拝です。この年度も礼拝に向かう歩みが導かれていることを感謝したいと思います。先日の3月21日は私達夫婦の金婚式でした。50年間、共に歩んでまいりましたが、連れ合いには50年間、私の説教を聞きつつ歩んでくれたことを感謝しています。2010年3月末、30年間務めた大塚平安教会を退任しましたが、4月から9月までの半年間は横浜本牧教会の代務者を担いました。10月から、どこの教会にも所属しない無任所教師になり、どこかの教会に出席することでした。10月、11月は今まで関係した教会に挨拶を含めて出席していましたが、その年の2010年11月28日に六浦谷間の集会として、自宅にて夫婦二人で礼拝をささげたのです。いろいろな教会を示され、どの教会に出席するかと夫婦で話し合っていたのですが、どこかの教会に出席するようになれば、鈴木牧師の説教はなくなるのです。長年、鈴木牧師の説教を聞き続けて来た連れ合いは、ここで終わるのではなく、続けてもらいたいとの意向でした。むしろ今までは鈴木牧師の説教を聞き続けていのだから、これからは他の牧師の説教を聞くことができるのではないかと言いました。結局、牧師と信徒がいるのですから、二人で礼拝をささげることにしたのです。六浦谷間の集会と称する集会です。第一回は夫婦で礼拝をささげましたが、二回目には近くの追浜にお住いの大塚平安教会の教会員、小澤八重子さんが出席されたのです。大塚平安教会在任中は小澤さんもお元気で教会の礼拝に出席されていました。私たちが大塚平安教会を退任する2、3年前頃から、追浜におられる娘さん家族と共に生活されるようになったのです。追浜は横須賀市になりますが、私共の家から比較的近くなのです。娘さんに車で送り迎えされながら、それからも時々でありますが出席されるようになったのです。六浦谷間の集会には時には我が家の子供たちも出席し、また時には知人の皆さんも出席されるようになりました。それが今でも続いており、次週にも知人の皆さんが出席されることになっているのです。
 六浦谷の集会の報告をしているのではなく、50年間、私の説教を聞き続けてくれている連れ合いの証しとしてお話をしているのです。大塚平安教会当時、連れ合いは礼拝には最前列に座っていました。他の教会の牧師のお連れ合いは、礼拝中は一番後ろの席に座るか、何かと目配りをしているようです。しかし、連れ合いのスミさんは、一人の信徒として、御言葉に向く姿勢を持っていました。それが今の証しでもあるのです。金婚式を迎えたとき、スミさんの説教への姿勢を示され、感謝をしたのでした。私たちの生きる原点、「救いの源」は主イエス・キリストの十字架の贖いなのです。さらに示されるために、礼拝をささげ、御言葉に耳を傾けることなのです。礼拝をささげる人生は「救いの源」を示されながらの歩みとなるのです。

 本日の旧約聖書は哀歌であります。以前はエレミヤ哀歌と称されていましたが、預言者エレミヤが書いたものではありません。聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンの空の下で、苦しみつつ生きるようになった時代です。故郷の都エルサレムはバビロンによって破壊され、荒廃したままであります。そのような状況を悲しみつつ歌っているのが哀歌であります。標題のように悲しみの歌であります。本来、聖書の原題は「エーカー」というものです。エーカーは「どうしてなのか」、「なぜなのか」ということです。嘆きの言葉がエーカーであるのです。嘆きの言葉がそのまま聖書の題になっているということです。まさに哀歌に記されていることは嘆きの言葉でした。
 「なにゆえ、独りで座っているのか。人に溢れていたこの都が」と嘆いています。都エルサレムは荒廃したままになっています。そもそも聖書の国、ユダがバビロンに滅ぼされた原因は何であったか、ということです。聖書の人々は神様に選ばれた民として、神様の御心によって生きることでありました。それが周辺の国々、大国の狭間にあって、指導者達は人間の力に頼ろうとしたのであります。アッシリア、エジプト、バビロンの力関係を計りにかけながら生き延びる道を求めていました。そういう中で預言者達、中でもエレミヤは真の神様の御心に立ち帰るよう教えました。人間の力ではなく、神様の御心に立ち帰るよう求めたのであります。今はバビロンが脅威であり、他の国に助けを求めて交戦するのではなく、バビロンに降伏しなさいと示しました。指導者達はエジプトの力を求めていたのであります。エレミヤの説得は無視され、結局ユダの国はバビロンに滅ぼされることになったのであります。そのことを示しているのが1章5節であります。「シオンの背きは甚だしかった。主は懲らしめようと、敵がはびこることを許し、苦しめる者らを頭とされた。彼女の子らはとりことなり、苦しめる者らの前を、引かれて行った」と事実を示しているのであります。
 この悲しみの現実を直視しなさいと哀歌は示しているのです。このようになったのは何のためかということです。エレミヤがあれほど「主の御心に立ち帰れ」、シューブという言葉ですが、繰り返しシューブと叫びました。帰らなかった人々です。「なにゆえ」と嘆くのは、エーカーと悲しみの声を上げるのは、立ち帰らなかったことなのです。だから、この現実を直視しなさい。「エルサレムは心に留める。貧しく放浪の旅に出た日を、いにしえから彼女のものであった宝物のすべてを。苦しめる者らの手に落ちた彼女の民を助ける者はない。絶えゆくさまを見て、彼らは笑っている」と嘆きの言葉が示されています。この現実、嘆きの現実の意味を問いなさいと示しているのであります。この現実は、あなたがたが神様の御心から離れてしまったからであると示しています。この悲しみの現実は、人々が神様の御心を忘れてしまったからであると示しているのであります。
 あなたは神様の御心で満たされているか。心を清くして、そこに土台を据えているか、これが聖書が繰り返し求めていることなのです。自分の中から悪霊を追い出しても、土台を据えないので、すぐに悪霊が帰ってきますよ、と聖書は示しているのです。マタイによる福音書は、もっとわかりやすく示しています。「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである」と示しています。そして、「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」(マタイによる福音書7章24-27節)と示しています。土台の上に立つことを示しているのです。

 神様の御心から離れてしまう人間の生き方は、自己中心であり、他者排除であります。人間は本来神様の御心をいただいて生きるとき、平和な人間の社会に導かれるのであります。そのことは創世記2章で記される人間創造で示されています。神様は天地を造られた時、最後に人間を創造されました。神様は土で人の形を造りました。しかし、まだ人間ではありません。神様は土で造った人の形の鼻に命の息を吹き入れたのであります。すると人間は生きた者となったと示しているのであります。これは、もちろん神話的な書き方ですが、深い真理を示しているのであります。つまり、人間は神様の息をいただいて生きるということであります。「息」という言葉は「ルアッハ」であります。ルアッハには、「生きる、霊、風」とも訳される言葉であります。
 エゼキエル書37章に「枯れた骨の復活」について示されています。エゼキエルは幻の内に平原に導かれます。そこには枯れた骨が一面に散らばっています。触ればくずれてしまうほどの枯れた骨です。神様はこの骨に向かって預言せよと言われるのです。言われたように預言すると、骨と骨があいつらなり、骨の上に筋と肉が生じ、皮膚でふさがれるのであります。すると、神様の霊が風のように吹きまくるのであります。すなわち、ルアッハが吹きまくったのであります。すると、人々は生き返り、自分の足で立ったのであります。ルアッハの力、導きであります。このことは使徒言行録に示される聖霊降臨も同じであります。イエス様が十字架につけられ、復活されましたが、お弟子さんたちは現実にイエス様がおられないので、力を無くして過ごしていたのです。その弟子達の上に風のようなものが吹きまくった時、意気消沈していた弟子達が立ちあがったのであります。ルアッハをいただいたからであります。ルアッハは神様の御心なのです。神様の御心なくして、人間は真の生きた存在ではないのです。哀歌はルアッハが無くなった現実でした。
 新約聖書におきまして、主イエス・キリストもルアッハを放棄している人々を示しているのであります。ルカによる福音書20章9節以下でイエス様はたとえをもって現実をお示しになっておられます。「ぶどう園と農夫」のたとえであります。このたとえを示される時、旧約聖書イザヤ書5章を合わせて示されるのです。イザヤ書は「ぶどう畑の歌」としています。神様がぶどう畑に良いぶどう植えました。よく耕し、石を取り除き、良いぶどうができるようにしたのです。ところが収穫は「すっぱいぶどう」でした。これはなぜかと問うているのです。せっかく手をかけ、面倒を見たのに、結果がこのようになるとは、神様の導きを拒否したからなのです。そのイザヤ書の示しと同じように、ルカによる福音書も、神様の導きを拒否する人々を示しているのであります。「ある人がぶどう園作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た」という設定であります。ぶどう園の主人は収穫の時期になったので、収穫の利益を得るために僕を送ります。しかし、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで返したのであります。主人は、さらに他の僕を送りますが、同様に袋だたきにして何も持たせないで追い返したというのであります。三人目の僕も送りますが、傷を負わされて放り出されたということです。主人は、今度は自分の息子を送ります。愛する息子なので、敬ってくれるだろうと思ったのです。しかし、農夫たちはその息子を殺してしまったというのです。
 このたとえ話は、先に送られた僕たちは旧約聖書に登場する預言者を示しているのです。神様は預言者を通して、神様の御心に生きるよう示しますが、人々は聞き入れませんでした。むしろ迫害された預言者たちでした。今、神様は御子を世に遣わし、神様の御心を示されたのであります。ところが、指導者達の妬みが高まって、ついに十字架によって殺されてしまうのです。これは後に起こるべきことを示しているのであります。人々はイエス様のお話を興味深く聞いていましたが、このお話は明らかに指導者達のことを言っていると悟るのでした。その時、イエス様は「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」と言われました。家を造るときは石で土台を固めますが、もう土台の石は必要ないということで、他の石は捨てます。しかし、家を建てるとき、守り本尊のように石を中心にするのです。捨てた石からそれを拾うということです。まさにイエス様が人々から捨てられますが、人々の中心になっていくことを示しているのであります。
 神様の御心から離れる現実は、破滅であることを示しています。実際、都エルサレムは紀元70年にローマによって滅ぼされるのであります。昔、預言者の言葉、神様の御心を無視した人々がバビロンに滅ぼされたように、今また、神様の御心に生きない人々のエーカーが訪れることを示しているのであります。

 こうして、ついに人々は神様の御心を拒否し、主イエス・キリストを十字架に付けて殺してしまうのであります。十字架は主イエス・キリストが、人間がどうすることもできない自己満足、他者排除を滅ぼすことでありました。神様の命の息を与えられて生きるのが本来の人間なのです。しかし、神様の息ではなく人間の息を持って生きようとするのが人間の姿でありました。預言者を送り、神様の命の息を示すのでありますが、受け止めませんでした。そして、ついに神様の御子イエス様をも無視し、殺してしまうのであります。十字架は時の指導者達による妬みの結果であります。しかし、神様は、この十字架を救いの原点となさいました。十字架によりイエス様の血が流され、死ぬのは私の罪、自己満足と他者排除を滅ぼされたと信じることなのです。
3月17日は、以前牧会していた宮城県の陸前古川教会の講壇に立たせていただきました。6年半この教会に仕えさせていただきました。もう40年も昔になります。我が家の子ども達は幼稚園、小学生時代を過ごしたものですから、一度、古川を訪ねたいと話し合っていたのです。それが実現し、礼拝説教を担当させていただき、午後からは娘の羊子のピアノリサイタルを開かせていただきました。礼拝には懐かしい皆さんが大勢出席して下さいました。その礼拝では、「御心の礎を与えられつつ」と題して御心を取り次がせていただきました。特に強調したのは、「ここに教会がある」ということでした。私が在任した40年前の礼拝出席は20名前後でしたが、今もその数字は変わりません。いつも導かれて出席する皆さんがおられるのです。ここに教会があるということは、神様の御心をいただく礎があるということです。今朝の示しとしては「救いの源」がここにあるということです。40年前の皆さんは、年齢を重ねながらも、いつも「救いの源」を与えられながら歩んで来られました。その現実を示されたのであります。それと共に40年前にお交わりのあった皆さんが、今は天におられますが、「救いの源」をこの教会で与えられて歩まれたことも示されたのでした。神様の御心に向かう場所、そこには「救いの源」があるのです。
 <祈祷>
聖なる神様。イエス様の十字架のお導きを感謝致します。救いの源に導かれながら歩ませてください。主イエス・キリストの御名によりおささげします。アーメン

説教「導きの声をいただきつつ」

2019年3月31日、三崎教会 
「受難節4主日

説教・「導きの声をいただきつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・ 出エジプト記34章29-35節
ルカによる福音書9章28-36節
賛美・(説教前)讃美歌21・299「うつりゆく世にも」
(説教後)讃美歌21・535「正義の主イエスに」


 3月も今日は31日であり、明日からは4月の歩みとなります。いよいよ春の到来を喜びつつ歩のです。4月は幼稚園、保育園では入園式があり、学校では入学式があり、新しい歩みが始まります。教会も新年度を迎え、新たなる歩みを始めることになります。新しい歩みを示されるのでありますが、昔の歩みを示されることも新たなる歩みとなるのです。3月17日のことですが、東北、宮城県の陸前古川教会の礼拝の説教を担当させていただきました。この陸前古川教会には6年半、牧師として過ごしています。神学校を卒業し、最初の教会は東京の青山教会でした。4年間、伝道師、副牧師を担いましたが、その後に招かれたのが陸前古川教会でした。私が初めて牧師として務めた教会でもあります。私どもの子供たちは幼稚園、小学校時代を過ごしましたので、かねがね古川を訪ねたいと思っていました。その願が実現し、17日の礼拝、講壇に立たせていただきました。そして午後からは娘の羊子のピアノリサイタルを開かせていただきました。礼拝もリサイタルも大勢の皆さんが出席してくださいました。その中には、昔お交わりのあった皆さんがおられ、昔を語り合いながら、今の歩みを話し合ったのでした。昔というのは40年前のことであります。その当時、小学生、中学生の皆さんが、今は社会的にも責任ある務めをされており、また結婚して家庭を築いている皆さんなのです。昔の皆さんとお会いして、お一人お一人に神様がお導きくださっていることを示されたのでした。40年前の皆さんと、教会で再びお会いしたとき、神様の豊かなお導きを示されたということです。
 久しぶりに古川を訪れたとき、当然、一人の方を思い出していました。古川から車でも一時間くらい離れていますが鳴子教会がありました。教会は保育園を担っていまして、その保育園の園長が高橋萬三郎さんでした。お連れ合いが鳴子教会の牧師であり、萬三郎さんが保育園の園長を担っていたのです。この髙橋萬三郎さんは童謡詩人でもありました。たくさんの童謡を残しています。青年の頃まではかすかに見えていたのですが、成人の頃は全盲になり。その中で多くの童謡を生み出したのでした。髙橋萬三郎さんの童謡は「こどもさんびか」の87番、101番に取り入れられています。87番はイースターをお祝いする歌です。「草のめ木のめが目を覚まし、ぽっかりお顔を出しました。歌いましょう、祝いましょう。うれしいうれしいイースター」と歌っています。
 実はこの髙橋萬三郎さんについて、証しとして記させていただきました。「鳴子こけしの歌」と題する証です。髙橋萬三郎さんの童謡と共に、この「鳴子こけしの歌」を読んでくださった皆さんが多くおられます。昔、お交わりのあった皆さんとお会いしたとき、髙橋萬三郎さんの童謡が示されていました。「小鳥と草笛」と題する童謡集に納められている歌です。「神さま」と題する童謡です。「目がさめた朝、神さまに、ねていたよるのおまもりを、しずかに感謝いたしましょう。あそんでる時、ねてる時、わたくしたちをまもります。やさしい天の神様よ。目をとじる夜、一日のおめぐみ思い、神さまに、あしたのよい日祈りましょう。」という歌です。昔の人とのお交わりをいただきながら、神様がお一人お一人を導いてくださっていることを示されたのでした。導きの声は私たちにも与えられているのです。今朝はお導きくださるイエス様の御声を示されているのです。

 今朝の旧約聖書出エジプト記34章29節以下でありますが、「モーセの顔の光」との標題で示されています。エジプトの奴隷であった聖書の人々は、神様がお立てになったモーセによってエジプトを脱出しました。奴隷から解放されたのであります。その時、壮年男子は60万人でありました。女性や子供たちを数えれば100万人を超える人々がエジプトから出て行ったのでありました。もともと聖書の人々がエジプトに住むようになったのは、ヤコブの時代であります。11番目の子供ヨセフが、神様の不思議な導きでエジプトの大臣になっていたのであります。全国的に冷害となり、エジプトの大臣であったヨセフは、ヤコブと一族をエジプトに呼び寄せ、そこから寄留の生活が始まったのでありました。実に430年間のエジプトの生活でした。聖書の人々がエジプトに寄留していることの理由を知らない王様が、増大するこの外国の民に恐怖を持ち、奴隷にしてしまったのであります。苦しい奴隷の生活を神様が顧みてくださり、モーセを通して解放させたのでした。エジプトを出て3ヶ月を経てシナイ山の麓に着き、そこでしばらく宿営することになります。シナイ山モーセがエジプトで奴隷である人々を救うように召命をいただいた場でもあるのです。再び、そこに戻ってきたモーセは、神様の導きのもとにシナイ山に登りました。シナイ山は2285mの高さであります。
 以前、聖地旅行でこのシナイ山に登りました。その時のお話は何かと日曜日に講壇に立ったとき、お話致しましたので割愛しますが、岩の山という印象です。私達は山と言えば、緑の多い、または高山植物があることを思いますが、シナイ山は麓から岩山が上に伸びているのです。ほとんど草木が生えていません。そういうシナイ山モーセは登って行き、神様の御心をいただき、十戒をいただいたのです。十戒をいただいて下山すると、人々は指導者であるモーセが山に登ったまま帰って来ないということで、中心となるべき金の子牛の偶像を作り、その周りで踊り狂っていたのであります。モーセは激しく怒り、その石の十戒を砕いたのでありました。従って、十戒の石の板が無くなっているのです。そこで、神様は再び十戒を授けるとし、石の板を用意させて、モーセを再びシナイ山に招くのでした。モーセは改めて、神様の御心を示され、石の板に十戒を刻むのでした。
そこで今朝の聖書になります。モーセシナイ山から下山すると、モーセの顔は光を放っていたのです。従って、人々はモーセに畏れを持ち、近づけなかったのでありました。しかし、モーセの招きのもとに、人々の指導者達がモーセのもとに集まってきました。モーセは神様から示された御心を示し、今後はいただいた十戒を守りながら歩むことを示すのでありました。「光を放つ」というヘブライ語は「角」にも由来致します。「角が出る」とも訳されるのです。昔のヒエロニムスという人がラテン語ウルガタ)で、「モーセに角が出ていた」と訳したので、ミケランジェロの「モーセ」には角が生えているのであります。ローマにはヴィンコリ教会があります。ヴィンコリとは鎖の意味ですが、ペトロがエルサレムで鎖につながれて牢に入れられていました。そのヴィンコリは神様の力でペテロから解かれたのであります。それを記念した教会なのですが、このヴィンコリ教会の中に角の生えたモーセ像が置かれているのです。正しくは光を放つモーセの顔であり、神様の御心に生きるときモーセを示しているのです。光であり、角が生えて見えるということ、その存在を強調することです。神様はモーセという存在に人々が向き、モーセから神様の御心を示すようにしたのであります。

 ルカによる福音書9章28節以下が今朝の示しになっています。28節、「この話をしてから八日ほど経ったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた」と記されています。「八日の後」とは、今朝の聖書の前に記されています。弟子達の信仰告白であり、イエス様が十字架への道をお示しになってからのことです。山に登られ、イエス様が祈っておられるうちに、イエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いたのであります。そこにはモーセとエリヤが現れ、イエス様と語り合っていたというのです。何を語らっていたのか、「イエスエルサレムで遂げようとしておられる最期について」であったのです。ペトロと仲間は、ひどく眠かったのですが、じっとこらえていたのです。そういう中でイエス様と二人の人を見たのでした。夢とも幻とも受け止められるのですが、確かに三人の栄光に輝く姿を見たのです。するとペトロは、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」と言うのでした。すると光り輝く雲が彼らを覆ったのであります。そして雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と神様の声が聞こえたのであります。その声が聞こえたとき、もはやそこにはイエス様しかおられませんでした。それは一瞬のことでありました。
他の福音書にも、この「山上の変貌」は記されています。しかし、イエス様とモーセ、エリヤが栄光のうちに語らっていた内容について記すのはルカによる福音書だけです。何を話していたのか。「イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期について」なのであります。栄光に輝く姿は十字架の主・キリストでありました。十字架と栄光、これは切り離されないこととして、ルカは三人の語らいとしたのであります。この山上の変貌は十字架の道を歩むイエス様の勝利の姿であると示されます。まさにその通りでありますが、モーセとエリヤの出現が山上の変貌を意味深く示しているのであります。モーセもエリヤも昔の存在でありますが、モーセ十戒を与えられ、人々に神の言葉として教え導いた人であります。そしてエリヤは神様の御言葉を人々に示す預言者であります。預言の言葉は力となり、人々に神様の御心を示したのでありました。モーセは律法であり、エリヤは預言であるのです。イエス様がモーセとエリヤと話していたということは、主イエス・キリストが律法と預言であることを示しているのであります。そして、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言われたのでありますが、マタイやマルコは「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との神様のお言葉でした。しかし、ルカは十字架による救いのために、神様がお選びになっているのであると示しているのであります。十字架に向かう主イエス・キリストが栄光に輝いていることをルカによる福音書は私達に示しているのであります。まさに「ひかり輝く存在」は主イエス・キリストなのであります。そして、神様はこのイエス様に「聞け」と導いておられるのです。栄光に輝く存在を示したのは、旧約聖書モーセと同じように、特別な存在として示し、その存在によって御心を示されるのです。そして「これに聞け」と示しているのです。

 イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から招きをいただいて以来、イエス様の言葉、御心を「聞いて」きたのです。「聞く」ことによって祝福へと導かれていることは、ルカによる福音書も証しているのです。まずこのルカによる福音書5章1節以下に「漁師を弟子にする」と題して書かれています。漁師であるペトロ、ヤコブヨハネ等が漁の後の仕事をしています。彼らはその日は何も取れなかったのです。そこへイエス様が来られて、船から群衆に神様の御心をお話しされたのです。お話が終わると、もう一度漁をしなさいと言われるのです。しかし、彼らは漁をしたものの、一匹も取れないまま、後片付けをしていたのです。だから、イエス様の言葉に反対したのかといえば、「お言葉ですから、網を下してみましょう」と、イエス様の言葉に従ったのです。それにより豊かな祝福へと導かれたことを経験しています。さらに9章10節以下では、「五千人に食べものを与える」ことが記されています。イエス様が神様の国についてお話しをしています。多くの人々がイエス様のお話しを聞いているのですが、もはや夕刻になっているのです。だからお弟子さんたちは人々を解散させることを提案しました。自分達で食事をさせるためでもあります。ところがイエス様は、「あなたがたが彼らに食べものを与えなさい」と言われたのです。そんなことを言われても、お金もないし、お金があったとしても、人里離れた場所でパンを売る店が無いのです。お弟子さんたちは、そんなことはできないと思いました。しかし、イエス様が五つのパンを手にしてお祈りしたとき、イエス様の言われることを「聞いた」のでありました。お弟子さんたちはイエス様から渡される祝福のパンを人々に与え続けたのでした。今までもイエス様の御言葉、お導きに「聞いて」来たお弟子さんたちです。神さまから「これに聞け」と改めて示されているのです。イエス様の御心に「聞く」ということが祝福へと導かれることなのです。
 今、私達が、神様が言われた「これに聞け」を受け止めるとき、「これ」とはイエス様なのですが、どのように受け止めるのでしょうか。言うまでもなく主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見ることです。プロテスタントの教会は聖壇には十字架が掲げられています。救いの原点であるからです。スペインのカトリック教会のミサに出席していましたが、十字架ばかりではなく、十字架につけられているイエス様を示されるのです。サグラダ・ファミリアの受難の門には、イエス様が裸で十字架につけられている像が飾られています。また、サグラダ・ファミリアの内部、大聖堂には上からイエス様が十字架につけられておられイエス様を見つめることなのです。十字架だけを見つめるのではなく、イエス様がそこにおられること、十字架につけられている像が吊るされています。カトリック教会は十字架ばかりではなく、イエス様ご自身を十字架と一緒に示されるのです。私達が「これに聞け」と言われたとき、やはり十字架を示され、「これに聞け」と神様が導いておられますから、十字架のイエス様に導かれたいのであります。
 導きの声はコリントの信徒への手紙<一>1章18節らに示されています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」と示されています。十字架は私達に語りかけている神様のお導きの声なのです。十字架を仰ぎ見ては、神様のお導きの声をいただきつつ歩みたいのです。十字架を仰ぎみることにより、神様の御心と力が与えられるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。栄光のイエス様は十字架により私達をお救いくださいました。「これに聞け」との導きに従わせてください。イエス・キリストの御名によりおささげします。アーメン