鈴木伸治・御言葉に向かう(2)

神様の御心を求める歩みをしています。

説教「導きの声をいただきつつ」

2019年3月31日、三崎教会 
「受難節4主日

説教・「導きの声をいただきつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・ 出エジプト記34章29-35節
ルカによる福音書9章28-36節
賛美・(説教前)讃美歌21・299「うつりゆく世にも」
(説教後)讃美歌21・535「正義の主イエスに」


 3月も今日は31日であり、明日からは4月の歩みとなります。いよいよ春の到来を喜びつつ歩のです。4月は幼稚園、保育園では入園式があり、学校では入学式があり、新しい歩みが始まります。教会も新年度を迎え、新たなる歩みを始めることになります。新しい歩みを示されるのでありますが、昔の歩みを示されることも新たなる歩みとなるのです。3月17日のことですが、東北、宮城県の陸前古川教会の礼拝の説教を担当させていただきました。この陸前古川教会には6年半、牧師として過ごしています。神学校を卒業し、最初の教会は東京の青山教会でした。4年間、伝道師、副牧師を担いましたが、その後に招かれたのが陸前古川教会でした。私が初めて牧師として務めた教会でもあります。私どもの子供たちは幼稚園、小学校時代を過ごしましたので、かねがね古川を訪ねたいと思っていました。その願が実現し、17日の礼拝、講壇に立たせていただきました。そして午後からは娘の羊子のピアノリサイタルを開かせていただきました。礼拝もリサイタルも大勢の皆さんが出席してくださいました。その中には、昔お交わりのあった皆さんがおられ、昔を語り合いながら、今の歩みを話し合ったのでした。昔というのは40年前のことであります。その当時、小学生、中学生の皆さんが、今は社会的にも責任ある務めをされており、また結婚して家庭を築いている皆さんなのです。昔の皆さんとお会いして、お一人お一人に神様がお導きくださっていることを示されたのでした。40年前の皆さんと、教会で再びお会いしたとき、神様の豊かなお導きを示されたということです。
 久しぶりに古川を訪れたとき、当然、一人の方を思い出していました。古川から車でも一時間くらい離れていますが鳴子教会がありました。教会は保育園を担っていまして、その保育園の園長が高橋萬三郎さんでした。お連れ合いが鳴子教会の牧師であり、萬三郎さんが保育園の園長を担っていたのです。この髙橋萬三郎さんは童謡詩人でもありました。たくさんの童謡を残しています。青年の頃まではかすかに見えていたのですが、成人の頃は全盲になり。その中で多くの童謡を生み出したのでした。髙橋萬三郎さんの童謡は「こどもさんびか」の87番、101番に取り入れられています。87番はイースターをお祝いする歌です。「草のめ木のめが目を覚まし、ぽっかりお顔を出しました。歌いましょう、祝いましょう。うれしいうれしいイースター」と歌っています。
 実はこの髙橋萬三郎さんについて、証しとして記させていただきました。「鳴子こけしの歌」と題する証です。髙橋萬三郎さんの童謡と共に、この「鳴子こけしの歌」を読んでくださった皆さんが多くおられます。昔、お交わりのあった皆さんとお会いしたとき、髙橋萬三郎さんの童謡が示されていました。「小鳥と草笛」と題する童謡集に納められている歌です。「神さま」と題する童謡です。「目がさめた朝、神さまに、ねていたよるのおまもりを、しずかに感謝いたしましょう。あそんでる時、ねてる時、わたくしたちをまもります。やさしい天の神様よ。目をとじる夜、一日のおめぐみ思い、神さまに、あしたのよい日祈りましょう。」という歌です。昔の人とのお交わりをいただきながら、神様がお一人お一人を導いてくださっていることを示されたのでした。導きの声は私たちにも与えられているのです。今朝はお導きくださるイエス様の御声を示されているのです。

 今朝の旧約聖書出エジプト記34章29節以下でありますが、「モーセの顔の光」との標題で示されています。エジプトの奴隷であった聖書の人々は、神様がお立てになったモーセによってエジプトを脱出しました。奴隷から解放されたのであります。その時、壮年男子は60万人でありました。女性や子供たちを数えれば100万人を超える人々がエジプトから出て行ったのでありました。もともと聖書の人々がエジプトに住むようになったのは、ヤコブの時代であります。11番目の子供ヨセフが、神様の不思議な導きでエジプトの大臣になっていたのであります。全国的に冷害となり、エジプトの大臣であったヨセフは、ヤコブと一族をエジプトに呼び寄せ、そこから寄留の生活が始まったのでありました。実に430年間のエジプトの生活でした。聖書の人々がエジプトに寄留していることの理由を知らない王様が、増大するこの外国の民に恐怖を持ち、奴隷にしてしまったのであります。苦しい奴隷の生活を神様が顧みてくださり、モーセを通して解放させたのでした。エジプトを出て3ヶ月を経てシナイ山の麓に着き、そこでしばらく宿営することになります。シナイ山モーセがエジプトで奴隷である人々を救うように召命をいただいた場でもあるのです。再び、そこに戻ってきたモーセは、神様の導きのもとにシナイ山に登りました。シナイ山は2285mの高さであります。
 以前、聖地旅行でこのシナイ山に登りました。その時のお話は何かと日曜日に講壇に立ったとき、お話致しましたので割愛しますが、岩の山という印象です。私達は山と言えば、緑の多い、または高山植物があることを思いますが、シナイ山は麓から岩山が上に伸びているのです。ほとんど草木が生えていません。そういうシナイ山モーセは登って行き、神様の御心をいただき、十戒をいただいたのです。十戒をいただいて下山すると、人々は指導者であるモーセが山に登ったまま帰って来ないということで、中心となるべき金の子牛の偶像を作り、その周りで踊り狂っていたのであります。モーセは激しく怒り、その石の十戒を砕いたのでありました。従って、十戒の石の板が無くなっているのです。そこで、神様は再び十戒を授けるとし、石の板を用意させて、モーセを再びシナイ山に招くのでした。モーセは改めて、神様の御心を示され、石の板に十戒を刻むのでした。
そこで今朝の聖書になります。モーセシナイ山から下山すると、モーセの顔は光を放っていたのです。従って、人々はモーセに畏れを持ち、近づけなかったのでありました。しかし、モーセの招きのもとに、人々の指導者達がモーセのもとに集まってきました。モーセは神様から示された御心を示し、今後はいただいた十戒を守りながら歩むことを示すのでありました。「光を放つ」というヘブライ語は「角」にも由来致します。「角が出る」とも訳されるのです。昔のヒエロニムスという人がラテン語ウルガタ)で、「モーセに角が出ていた」と訳したので、ミケランジェロの「モーセ」には角が生えているのであります。ローマにはヴィンコリ教会があります。ヴィンコリとは鎖の意味ですが、ペトロがエルサレムで鎖につながれて牢に入れられていました。そのヴィンコリは神様の力でペテロから解かれたのであります。それを記念した教会なのですが、このヴィンコリ教会の中に角の生えたモーセ像が置かれているのです。正しくは光を放つモーセの顔であり、神様の御心に生きるときモーセを示しているのです。光であり、角が生えて見えるということ、その存在を強調することです。神様はモーセという存在に人々が向き、モーセから神様の御心を示すようにしたのであります。

 ルカによる福音書9章28節以下が今朝の示しになっています。28節、「この話をしてから八日ほど経ったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた」と記されています。「八日の後」とは、今朝の聖書の前に記されています。弟子達の信仰告白であり、イエス様が十字架への道をお示しになってからのことです。山に登られ、イエス様が祈っておられるうちに、イエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いたのであります。そこにはモーセとエリヤが現れ、イエス様と語り合っていたというのです。何を語らっていたのか、「イエスエルサレムで遂げようとしておられる最期について」であったのです。ペトロと仲間は、ひどく眠かったのですが、じっとこらえていたのです。そういう中でイエス様と二人の人を見たのでした。夢とも幻とも受け止められるのですが、確かに三人の栄光に輝く姿を見たのです。するとペトロは、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」と言うのでした。すると光り輝く雲が彼らを覆ったのであります。そして雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と神様の声が聞こえたのであります。その声が聞こえたとき、もはやそこにはイエス様しかおられませんでした。それは一瞬のことでありました。
他の福音書にも、この「山上の変貌」は記されています。しかし、イエス様とモーセ、エリヤが栄光のうちに語らっていた内容について記すのはルカによる福音書だけです。何を話していたのか。「イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期について」なのであります。栄光に輝く姿は十字架の主・キリストでありました。十字架と栄光、これは切り離されないこととして、ルカは三人の語らいとしたのであります。この山上の変貌は十字架の道を歩むイエス様の勝利の姿であると示されます。まさにその通りでありますが、モーセとエリヤの出現が山上の変貌を意味深く示しているのであります。モーセもエリヤも昔の存在でありますが、モーセ十戒を与えられ、人々に神の言葉として教え導いた人であります。そしてエリヤは神様の御言葉を人々に示す預言者であります。預言の言葉は力となり、人々に神様の御心を示したのでありました。モーセは律法であり、エリヤは預言であるのです。イエス様がモーセとエリヤと話していたということは、主イエス・キリストが律法と預言であることを示しているのであります。そして、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言われたのでありますが、マタイやマルコは「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との神様のお言葉でした。しかし、ルカは十字架による救いのために、神様がお選びになっているのであると示しているのであります。十字架に向かう主イエス・キリストが栄光に輝いていることをルカによる福音書は私達に示しているのであります。まさに「ひかり輝く存在」は主イエス・キリストなのであります。そして、神様はこのイエス様に「聞け」と導いておられるのです。栄光に輝く存在を示したのは、旧約聖書モーセと同じように、特別な存在として示し、その存在によって御心を示されるのです。そして「これに聞け」と示しているのです。

 イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から招きをいただいて以来、イエス様の言葉、御心を「聞いて」きたのです。「聞く」ことによって祝福へと導かれていることは、ルカによる福音書も証しているのです。まずこのルカによる福音書5章1節以下に「漁師を弟子にする」と題して書かれています。漁師であるペトロ、ヤコブヨハネ等が漁の後の仕事をしています。彼らはその日は何も取れなかったのです。そこへイエス様が来られて、船から群衆に神様の御心をお話しされたのです。お話が終わると、もう一度漁をしなさいと言われるのです。しかし、彼らは漁をしたものの、一匹も取れないまま、後片付けをしていたのです。だから、イエス様の言葉に反対したのかといえば、「お言葉ですから、網を下してみましょう」と、イエス様の言葉に従ったのです。それにより豊かな祝福へと導かれたことを経験しています。さらに9章10節以下では、「五千人に食べものを与える」ことが記されています。イエス様が神様の国についてお話しをしています。多くの人々がイエス様のお話しを聞いているのですが、もはや夕刻になっているのです。だからお弟子さんたちは人々を解散させることを提案しました。自分達で食事をさせるためでもあります。ところがイエス様は、「あなたがたが彼らに食べものを与えなさい」と言われたのです。そんなことを言われても、お金もないし、お金があったとしても、人里離れた場所でパンを売る店が無いのです。お弟子さんたちは、そんなことはできないと思いました。しかし、イエス様が五つのパンを手にしてお祈りしたとき、イエス様の言われることを「聞いた」のでありました。お弟子さんたちはイエス様から渡される祝福のパンを人々に与え続けたのでした。今までもイエス様の御言葉、お導きに「聞いて」来たお弟子さんたちです。神さまから「これに聞け」と改めて示されているのです。イエス様の御心に「聞く」ということが祝福へと導かれることなのです。
 今、私達が、神様が言われた「これに聞け」を受け止めるとき、「これ」とはイエス様なのですが、どのように受け止めるのでしょうか。言うまでもなく主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見ることです。プロテスタントの教会は聖壇には十字架が掲げられています。救いの原点であるからです。スペインのカトリック教会のミサに出席していましたが、十字架ばかりではなく、十字架につけられているイエス様を示されるのです。サグラダ・ファミリアの受難の門には、イエス様が裸で十字架につけられている像が飾られています。また、サグラダ・ファミリアの内部、大聖堂には上からイエス様が十字架につけられておられイエス様を見つめることなのです。十字架だけを見つめるのではなく、イエス様がそこにおられること、十字架につけられている像が吊るされています。カトリック教会は十字架ばかりではなく、イエス様ご自身を十字架と一緒に示されるのです。私達が「これに聞け」と言われたとき、やはり十字架を示され、「これに聞け」と神様が導いておられますから、十字架のイエス様に導かれたいのであります。
 導きの声はコリントの信徒への手紙<一>1章18節らに示されています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」と示されています。十字架は私達に語りかけている神様のお導きの声なのです。十字架を仰ぎ見ては、神様のお導きの声をいただきつつ歩みたいのです。十字架を仰ぎみることにより、神様の御心と力が与えられるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。栄光のイエス様は十字架により私達をお救いくださいました。「これに聞け」との導きに従わせてください。イエス・キリストの御名によりおささげします。アーメン